2015年12月27日 (日)

よかった時代は、無理をしていた時代

※この話は事実に基づいた、完全なフィクションです。

前回からのつづき

前回はこちら
http://maruko-psw.cocolog-nifty.com/blog/2015/12/post-eb37.html


○月×日


その後、定期的に訪問することができ、少しずつ一緒に片づけを行った。


ここまでの状況に来てしまうと、一人では手が付けられなくなってしまうが、誰かと一緒であれば、その一歩が踏み出せる場合が多い。



こちらへの警戒心や不安は完全に解けてはいないが、そのかたの「何とかしたい思い」に火がつけば、こうして、継続した関係性につながる。



しかし、一回一回の訪問が勝負であり、こちらが何かを間違えば、そのやっとつながった関係も、切られるかもしれないのだ、という緊張感や慎重さを忘れてはならない。


つながりが切れることは、そのかたにとっての大きな傷つき体験となり、生活のうえでも損失であり、命にかかわる場合もある。



その関わりは決して、そのかたのご機嫌取りをするとか、言いなりになるとかではなく。


うまく伝えられないが、きっと、「嘘ごまかしなく、正直に向き合い、付き合う」ということが大前提だと思っている。



本当なのかわからない言動、波のある体調や気分。色々あっても、目的である、「部屋を片付ける」ということに向かっての共同作業だ。あれこれとこちらの思いや考えはあっても、一度にいくつものテーマや解決を求めない。



とにかく焦らず、焦らせず、まずは、この部屋に望む思いを聞いていく。



一人暮らしの割には、部屋数が多いアパートだったので、ご本人としてはまず、いつもいるリビングと、キッチンを片付け、まともに生活が出来るようにして、もうひとつの部屋はとりあえず倉庫みたいに物を移動させて、その倉庫部屋はあとからゆっくりひとつひとつ、物を確認しながら片付けたいと。


現実的なビジョンだなと思った。


こちらがごみかな?と思うものでも、ひとつひとつ。レシートの一枚までそのかたに確認を行う。うざいかなと思っても、それだけそのかたの希望に合わせた部屋になるようにしたいということであり、また、うっかり大事と思うものを捨てたりしないように。それを繰り返すうちに、「もう、任せますので、お願いします」と言ってもらえる。



しかし確認していて、必ず片付けの手が止まるのは、働いていた時のものたち。

着ていたスーツ、使っていた鞄、ファイル、財布、時計など。。

当時はバブルの渦中で、とてつもなく忙しかったけれど、景気も良く、給与も高く、だから無理してでも頑張れた。自分の能力も認めてもらえていた。

でも、体調を崩して戦線離脱したら、精神科に受診したら、全ての人が離れて行ったのだという。

焦って復職をしようとするも、うまくいかない。

薬を飲んでも、良くならない。

もともとのプライドもあり、人に助けてと言えない。


ケンカしながらひたすら主治医や病院を変え、合う薬を探し続け、自分で調合して乗り切る日々。



「あの時、もっと体力気力があって、乗り越えられればよかったんですけどね。自分はそこまでやれなかったんですよ。悔しいですね。すっごく。」と話してくれた。


いや、十分頑張っていたはずだ。そしてかなりの無理をしていたはずだ。


その時必要だったのは、ゆっくり休んで立ち止まること。無理をしない働き方にシフトしていくことや、それを認める会社や社会が必要だったのだと思う。



だが、もっと頑張るために精神科へ行き、薬でよくしようと試行錯誤するうちに、悪化して戻れなくなった。そしてすべてを失ったのではないか。



たくさん働くことが、そしてそれをものともしないことが、カッコイイような時代。
今の時代もその名残は十分にあるだろう。



あれから20年以上経った今も、このかたは昔の自分に戻りたいと願い、でもきっと無理だなと絶望し、自暴自棄になっては、かろうじて生き延びる日々を繰り返している。



精神医療と薬の問題は、個人の責任だけではない。



頑張ることを、無理をしてでも文句言わずに働くことをよしとする会社、バリバリ働いていきいきと生きることがカッコイイ、勝ち組のように煽る社会に、大きな問題がある。



精神医療はそこへ、巧みに入り込んでくるのだ。



今年から、労働現場でのストレスチェックも一部で開始されるという。

ストレスが多い→精神科受診促し、という安易な流れにしてはならない。

貴重な労働力を、失うことになってしまう。






次回へ続く

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2015年12月20日 (日)

部屋から見えてくる孤独と苦しみ

※この話は事実に基づいた、完全なフィクションです。

前回からのつづき

前回はこちら
http://maruko-psw.cocolog-nifty.com/blog/2015/12/post-1682.html



私は、ごみ屋敷と言われてしまうような部屋へ訪問させてもらった場合、


初回の訪問では、あまり根ほり葉ほり聞くことはしない。



受け入れてくれたことへの感謝を伝え、継続してこちらが関わることへの承諾を得られれば十分だと思う。



ただでさえ、罪悪感や恥ずかしいという思いがあるのに、面と向かって色々と聞かれることは、苦痛だと思うからだ。質問しているつもりでも、このかたの状況を責めているように思われたくない。



私は、これまで多くのかたの所へ訪問させていただいた経験から、そのかたの部屋を見れば、どんな思いで日々暮らしているのかが、何となくわかるようになっている。




このかたの部屋から感じたのは、

何年も混沌として思い通りにならない部屋と体調、そしてそれについて誰にも相談せず、自力でなんとかしなければという焦りと苦しみ。



何よりも、計り知れないほどの 「孤独」が、見て取れた。




必死の笑顔で応対してくれるそのかたの姿に、胸が痛くなった。



積み上がっている段ボールの中から見えた、高価な衣服や小物について聞いてみると、


「ああ、あれは働いていた時に使っていたんです」と恥ずかしそうに話してくれた。きちんとしまってまた使いたいけれど、なかなか出来ないでいるのだと。


難しそうな書籍や資料も山ほどあり、理数系の、私にはまったくわからない記号や数字ばかり。大学受験の時に使う「赤本」も各種大学のものがたくさんあった。
買って読んだり勉強することが好きだったのだという。



ジャズやクラシック、懐メロのCDもたくさんある。
音楽も好きなのだとわかる。



捨てられずにたまっていく日々のごみの中には、そのかたの好きなものや大切なものがたくさんひそんでいる。




・・・なぜ、バリバリ働いていいたかたが、ここまでの状況に落ちてしまうのだろう。


その時と今との落差に、きっと苦しんでいるに違いない。


これまで何があったのか、精神医療がどのようにこのかたを治療?して来たのか。


薬は何を飲んでいるのか。ご家族や友人は?

そして何より、これからどんな生活をしたいのだろう。


聞きたいことや、一緒に考えたいことが、私の頭の中にあふれかえった。


とりあえず今回は現状を確認し、残っているわずかな食材をどう使って何日食いつなぐかという助言をした。


また、今回限りという約束で、こちらで米を代理購入し、保護費支給後に返金してもらうという緊急対策を提案。そのかわりに、金銭管理や生活面での具体的な援助を、私たちがすることを受け入れてもらい、初回訪問を終了した。



まだ次の保護費支給まで3週間以上あることへの金銭面の不安や絶望感が和らぎ、安堵された様子が見て取れた。




私たちは定期的に訪問させてもらい、部屋の整理を一緒に始めることにした。


・・・・・・・・・・・・・・・・・


このように、相談すること、援助を求めることをせず、極限まで我慢して頑張るかたや、そもそも困っているという意識がないまま状況が悪化していくかたは、地域にたくさんおられる。


私は、そういう状況のかたに対して、まずは、何でもいいから声をかけ続けること。つながること。そしてそれが継続されるように、相手の状況や希望を最大限尊重することを、いつも大事にしている。




聞きたいこと、一緒にやりたいことがあっても、進展がなくても、こちらの想いや都合で、考えを押し付けたり、焦ってはならない。


私は地域のソーシャルワーカーであり、行政のような権限は何もない。
むしろ、そういう権限などは、使いたくもない。


私たちの関わりは、そのかたとの信頼関係ありきの援助であり、わかりやすく言えば、「嫌われたら終わり」。


このかたとの関係も、ここからが本当のスタートだ。




そしてその後、さらにこのかたの苦しみや過酷な状況に向き合うことになった。





次回へ続く


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その状況や思いの背景にあるもの

※この話は事実に基づいた、完全なフィクションです。

前回からのつづき

前回はこちら
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〇月×日



穏やかな表情で部屋の中に迎え入れてくださったそのかたは、
「すみません、こんなところに来てもらって」と何度も言った。



「いえ、こちらこそ、しつこく訪問をお願いしてしまって、すみません。」と私。
このやりとりを何度もしていた。



体調を聞くと、うつ状態と、皮膚疾患の過酷さで、ほぼ家から出られない状況が続いているのだという。つらいので食事を出前などの宅配にして済ませているために、どんどん手持ち現金がなくなっていく。毎月、月末になると苦しくなり、次の保護費支給までは、ひたすら水を飲んだりして、我慢して暮らしている。



精神科や皮膚科への通院も行けたり行けなかったりなので、行ける時には多めに薬をもらい、たまった分はストックしておき、足りなくなっても、そこから調達して飲んでいる。


精神薬のことがとても気になった。多剤処方と、今回のような自己判断でのまとめ飲みなども、もしかしたら頻回にあるのでは、と思った。心配だ。


生活の乱れにより皮膚疾患も悪化し、常に皮膚がものすごく乾燥、かゆみもあるので剥がれ落ちることで、床に積もったのかなとも予測した。でも、ご本人には、まだ聞けない。



ごみ屋敷?と思えるような部屋の状況ではあるが、よく見ると、引っ越したままの段ボールが山積みになっており、蓋が開いたすきまからのぞく物の中には、高価な衣類や小物もある。確か、大卒後に大手企業で働いておられたと聞いたのを思い出す。



今の状況の理由を知り、この方にとって望む生活とは何か、を考えるには、これまでの経過や思いを教えていただく必要がある。


ただ、「あなたは困ってますよね、援助が必要でしょ」、ではなく。


訪問を受け入れていただくまで半年以上。何としてでも信頼関係を作り、力になりたい。



次回へ続く




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2015年6月25日 (木)

困っていることが、恥ずかしい。申し訳ない。

※この話は事実に基づいた、完全なフィクションです。

〇月×日


ずっと気になっていた電話相談があった。
具合が悪くてなかなか直接相談に来れないと。



精神科の通院に加えて、喘息、アトピー、排尿障害、腰の痛み。身体のこわばり。


ほぼ毎日どこかしらの病院への通院をしないとならないが、行けていないとのこと。


きっと、多剤処方に違いない。と思っていた。



しかし、薬のことを聞いても、「それは主治医に相談していますから」、と言われてしまう。


なかなか家から出られないから、宅配の寿司や惣菜などで食事をすます。


すると食費がかかってしまい、現金も食べるものもなくなってしまう。

一度自宅を訪問させてほしい。
一人暮らし、生活保護利用。家族は疎遠。たくさんの疾患を抱え、栄養状態なども安定していないことが予測され、何とか生活状況を聞き、力になりたかった。


しかし、恥ずかしい、
という思いと、こんなところに来てもらって申し訳ないという思いで、なかなか訪問を承諾してくださらない。



たまにかかってくる電話の度に、訪問させてほしいと伝え、半年以上が経った。



・・・・・・・・・・・



ある日、電話があり、「実はもうあと、200円しかないんです」と。


次の保護費支給日まで3週間以上ある。


苦しい状況と孤独感で自暴自棄になり、3食出前や宅配にして、一気にお金を使ってしまったという。また、数日前には、今までためこんだ薬を、無意識のうちに飲んでしまい、身体がより動かなくなっているという。


電話で様子を聞きながら、会話はできる状態であることを確認。


冷蔵庫の中にあるものや、戸棚にある缶詰や保存食などを聞き、1週間分くらいの食糧はやりくりできるめどは見えた。


しかし、足りないし、そもそも、不調がある中で自分で食事の用意が出来るかもわからない。


とにかく心配であることを必死で伝え、ようやく訪問の了承を頂いた。


また、上司と生活保護担当ワーカーに相談し、状況により食材などをこちらで代理で購入し、保護費支給日に代金を返してもらう緊急対応も提案、身体状況によりやむなしとの見解を得ておいた。


(※原則として、物品であっても、収入認定されます。)



電話では訪問の承諾を得たものの、受け入れてくれるだろうか。


いつも、訪問に行くときは、とてつもなく緊張する。
何度も通っているお宅であっても。


こちらの気づかない言動や視線や振舞いが、信頼関係をあっという間に崩すと言うことを、知っているからだ。彼らはそれだけ緊迫した状況で、日々、生活している。そのしんどさや恐怖は、計り知れない。



インターホンを押し、静かに開いた扉から見えたその表情は、意外にもふっきれた様子で、穏やかだった。



少し安心した。




でも。



そのかたの足元から床の端まで。隅々まで。



はがれた皮膚が、数センチ、積もって真っ白になっていた。



そして物とごみらしきものが、天井まで、あふれかえっていた。




次回へ続く




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2015年5月26日 (火)

2015年 新たな一歩へ

ご無沙汰しております。

前回の更新から1年以上も経ってしまいました。

それでも度々、このブログに訪れて下さっていたみなさま、ありがとうございます。気にしてくださり嬉しいです。更新できず申し訳ありませんでした。

もう5月も終わるこの段階で、2015年の意気込みを書くのもお恥ずかしいですが、毎年恒例なので、書いておこうと思います。


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昨年の2014年は、自分の中で大きな心境の変化がありました。

私がこれまで抱えてきた「怒り」、「悲しみ」などのネガティブな感情を、「手放す」ことにしたのです。

きっかけは、6月に熊本県阿蘇小国にある「TAO塾」へ行ったことでした。
http://www.taocomm.net/

豊かな自然の中でおいしい食事をしながら語ったり、精神医療問題について学ぶ特別セミナーに参加したのです。

その時にTAO塾の波多野さんに教わったのが、「手放す」ことでした。

私はずっと、精神医療や薬の問題、そしてそれをそのままにしている社会に対して、怒りと悲しみが満ち満ちていていました。

むしろそれをエネルギーとしてこのブログも始めましたし、現場以外での発信や活動をしてきました。

なので、それを手放していいんだろうかと、戸惑いました。

でも同時に、そのエネルギーには限界が来ていることも、察していました。

自分の無力感や同業者の仲間がなかなか増えないこと、これ以上何をすればいいのかがわからないモヤモヤと苦しさで、いっぱいになっていたからです。

その時の私には、「手放す」という言葉が、すごくこころに響きました。

2011年9月に、利用者さんの突然死を発見してから約3年。怒りと悲しみはすぐには手放せないけど、やってみよう。そして今までとは少し違うやり方、行動の仕方を考えてみよう。と決意しました。

熊本から帰り、その後も日々現場に立ちながらも、常に「手放す」とはどういう事かを、考えていました。

そして昨年2014年9月、自分が中心となって市民団体を作る決意をしました。


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自分が中心になって市民団体を作る。それは大きな決断でした。

何から始めればいいかわからないけど、まずは幅広く仲間を集めて、何が出来るかを一緒に考えることにしたのです。

一人で、もしくはずっと支えてくれているわずかな仲間とだけでは、どうしても精神医療や業界全体を批判したくなります。それは、現場でふがいない無力な自分に直面することでもありますし、何の解決にもなりません。

また、どうしても「誰かに何とかして欲しい」という思いになってしまいます。

例えば、「いい医師がいればいいのに」とか、「この問題をわかっている誰かが、団体や会社を作ってくれればいいのに」というような。

結局は、自分の想いはあっても、偉そうなことは言っても、自信がなくて、人任せにしていたのです。

もう自分でやる時期に来たのかも。「手放す」決意をした時にそう思いました。

だって、私は誰よりも現場で、ソーシャルワーカーとしてこの問題を体感し、自分なりに闘って来たのだから。


9月に、とある精神医療の勉強会で、参加者のみなさんに呼びかけをしました。

すると、精神医療を体験し被害に遭ったかたや、医療関係者、ご家族などが、声をかけて下さいました。皆さん私と同じく、「何が出来るかわからないけど、何かしたい」という想いをもつ方達でした。嬉しかったです。


・・・・・・・・・


2015年、今年からの私は、

「批判や問題提起の、その先へ」 を信念として、

新たな取り組みを始めました。

仲間と試行錯誤しながら、いい意味で「正面から闘わない」、「もっと多くの人へこの問題を伝える」活動を考え、動き出しています。

ホームページなどの発信ツールも、準備中です。

またご報告出来たらと思います。



しかしこのブログは、私が現場で出会う理不尽な現実を発信していくために始めたものですので、今後も現場のことをきちんと書いて行きたいと思っています。



私の原点は、現場です。


今後とも、よろしくお願い致します。




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2014年4月21日 (月)

厚労省への要望書 署名お願いします

★ブログを見てくださっているみなさまへ★

いつも、ありがとうございます。

今回は、お知らせと、署名のお願いです。

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精神医療被害連絡会

全国自死遺族連絡会

精神医療被害当事者会ハコブネ

そのほか、賛同する個人や団体

による、「精神医療問題改善」を要求する、厚労省への要望書ができました。


署名は、インターネットを通じて、参加することができます。

下記のサイトから、内容をご確認頂き、ぜひ署名をお願い致します。
要望書は、厚労省に届けられます。


厚生労働省-精神医療の改善-メンタルヘルス政策の見直し


私がこのブログで取り上げて来ている問題、

「多剤大量処方」や「安易な診断と投薬」、「子どもや高齢者への投薬」

だけでなく、DVシェルターや児童福祉施設、生活保護利用者など、社会的に弱い立場のかたが、薬漬けになっていること。


製薬会社の広告「お医者さんに相談しましょう」という、病気の啓発キャンペーンの規制。

私のブログにも出てくる「不審死」「突然死」されるかたの原因究明。

精神科病院での死亡に関する調査

「早期介入」という名のもと、職場や学校への精神医療の介入の規制


また、問題の指摘や改善要求だけでなく、被害者の救済や、減断薬に取り組む医師や施設の設置も、要求しています。

ぜひ、皆様の署名をお願い致します。

ようやく、最近は、この問題がメディアにも多く取り上げられ、黙秘していた当事者や支援者、医師の中にも、声をあげる人々が増えて来ました。

私もずっと現場で孤立していましたが、周囲の変化を感じます。

しかし、問題が認識されるだけでは、改善には至りません。

この要望書には、具体的に今から何をすべきか、が詳細に書かれています。
ぜひ全文をお読み頂いて、納得、賛同されたかたは、ご署名ください。



下記サイトから、氏名とメールアドレス、郵便番号を入力することで、参加できます。

また、署名では、ご自身の名前が公表されないように設定もできます。


私ももちろん、賛同しました。



よろしくお願い致します。




厚生労働省-精神医療の改善-メンタルヘルス政策の見直し
http://t.co/hqRmTe1tfD





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SSRI(抗うつ薬)による害と減薬(このシリーズラスト)

(このブログで取り上げる話は、事実に基づいた完全なるフィクションです)

○月×日

(前回からのつづき)



ご本人も私も、ずっとひっかかっていたこと。

それが、通院先と、処方の内容だった。


かなり前から、パキシルを始めとした、SSRI(抗うつ薬)、そして、抗精神病薬と、眠剤、副作用止めなどが多数処方されていた。

ご本人なりに調べて、薬の効果にはとても詳しく、こちらの意見などはあまり求めていないようだった。

また、「ワーカーさんだから、薬のことはわからないですよね」、とも言われた。

当時の私は確かに、薬への疑問は多々あったが、具体的に何がどう悪いのか、までは、説明できるほど学びきれていなかったので、何も言えなかった。

このかたは、初診時には「うつ病」と言われていたが、その後改善せず病名は色々と変化し、現在は「統合失調症」であると言われていると。

しかし、統合失調症にあると言われている、幻聴や妄想、思考障害などはみられない。

感情の波が激しく、えらく落ち込むときと、行動や言動が激しくなることを繰り返しているが、躁うつ病で言われている、ゆっくりとした数か月単位での上がり下がりではない。数日おき、または数時間おきに上下している。とても忙しそうで、身体もしんどい様子だったが、自覚はない。

しかし、私と話すときはどんな状態でも必ず事業所まで来るし、きちんと話ができる。

継続して関わることで、このかたが、もともとは誠実でまじめで、とても優しいかたであることはよくわかっていた。


「薬の影響なのではないか?」


私はずっと疑問を持ち、いつご本人に伝えるか、タイミングを計っていた。


トラブルをおこしてひどく落ち込み、寝込んで動けなくなると、大量にパキシルだけを飲むも、効果はない。すでに処方通りではなく、自分でチョイスして飲んでいる。


通院していたが、医師が診察でも全く話を聞かず、めんどくさそうに同じ処方を繰り返し、よくならないと言えばさらに追加。その処方すらもいい加減で、薬局に行くと、種類や日数を間違えていることが何度もあった。


私は、ご本人の不満が高まってきたところで、通院先を変更することを、強くすすめた。


薬も多すぎると思うし、飲んでも望む効果は出ていない。そもそも、統合失調症ではないと思う。


何よりも、医師がきちんと診察をせずにいることは、こちらが通院の同行をして理解を求めるレベルではない。通院先でもトラブルをおこしているので、おそらく診る気がないのだろう。


ご本人は、通院先を変えると、逆に「病気ではない」と見られてしまい、今使っている福祉制度が打ち切られてしまうのではないかという不安があり、決断には時間を要した。


時間をかけて一緒に検討し、決めたところの医師が、偶然にもわりと「当たり」で、ご本人やこちらの意見をよく聞き、薬の影響があることを見抜いて、本人に伝え、減薬した。

ご本人も、医師からそのように言われると、すんなりと受け止めた。薬による作られた双極性障害、であることに、ご本人も大いに納得がいったのだった。


薬を減らしていくことに、いろいろと不安はあったようだが、急激なアップダウンはなくなった。思いついたらすぐに行動し、トラブルとなって落ち込む、というパターンも徐々に減った。


もともとの不安定さは残っている。幼少期の不幸により、心から安心できる環境や人間関係がわからず、家族への葛藤も続いている。


しかし、このかたがそういう自分を理解し、自覚することができたことで、日々の生活面や人間関係、家族関係に、とても冷静に向き合いはじめた。すると、誰かや社会を責めてばかりの言動が、驚くほど冷静に、穏やかになっていった。


この段階ですでに、私との関わりは、数年経過していることをお伝えしておく。

一緒に季節を何度も越え、焦らずにサポートを継続していくことが、大切だと思っている。

そして、全ての経過や、このかたが頑張ってきたこと、乗り越えたこと。それに伴う変化や成長を、きちんと覚えておく。そしてそれを常にそのかたに伝えていく。

それが、信頼関係をさらに深めていくことになる。

皆さん、日々生きることで精いっぱいで、過去にも不安と不満ばかりで、良かったことは全然覚えていないことが多くあるからだ。

一緒に動いてきたことで、私が必ずそれを記憶している。
担当がかわっても、その経過や想いは記録に残る。

もう、このかたは、自分が何だかわからないけど嫌われる、という苦しみからは解放された。そして、薬では何も解決しないことも受け入れた。


失ったこれまでをどう取り戻していくか、もともとの不安定さをどうしていくか。
新たな壁を見上げてはいるが、その表情は、晴れやかだ。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



もともとの不安定さによる生きづらさが病気とみられ、自身でも病気と思い医療へつながるも、適切な治療やサポートにつながらなかったために、長年、薬を多く出されてしまい、重症化。遠回りしてしまったケースである。


こういうかたは、とても多い。


各地でトラブルがおきていることで、治療しておきながら、医療側も警戒し、排除しようとする。

その原因が、自らが処方している、薬や、曖昧な診断であることには気づかない。すべて本人の病状のせいにしてしまう。かと言ってそれをきちんと治療できるわけでもない。

トラブルがおきると、医療側は本人を責め、薬で鎮静化しようと多剤となり、それがさらなる不安定さを生む。どうにもできなくなったら入院させることも。悪循環だ。


また、多剤であることと、攻撃的で不安定で、「人格っぽい」ことが、さらなるレッテルとなり、医療だけでなく、福祉や制度を使う際にも、支援者から警戒され、排除されてしまう。


支援者は、そのかたの生い立ちや背景、そして処方の経過も確認し、そのかたの現在、過去、未来に、親身になって、思いを馳せなくてはならない。


「困った人」という前情報があるかたほど、なぜそうなのか、情報に惑わされずに注意深く、アセスメントすべきだ。


そして、薬の影響で、人格までかえられてしまうことを、理解すべきだ。
こんなに人権侵害なことはない。



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2014年4月 7日 (月)

しんどくなったら、離れてください

(このブログで取り上げる話は、事実に基づいた完全なるフィクションです)

○月×日

(前回からのつづき)


深刻な顔で相談に現れたそのかたは、別の場所でまたトラブルをおこしてしまったと話してくれた。


カッとなると、過去の関係ないことまで思い出してしまい、怒りがおさめられないという。

また、自暴自棄になると、あえてカッとなりそうな所へ出向いて、ケンカをふっかけるようなこともしてしまうのだと言う。後からものすごく後悔して落ち込む。そのことで周りから人が離れていくし、または、いたたまれなくなって、自分から関係を切ってきたのだと。


仕事も、人間関係も、居場所も、継続しない。いい人だ、いい場所だ、と思うと自分から急激に近づくけど、ちょっと違うなと思うと、急に嫌になってしまい、トラブルになる。それまでの信頼は、すべてふっとんでしまうのだという。


そしてそのかたは、私にこう言った。


「私と関わってて、もしまる子さんがしんどくなったら、遠慮せず私から離れてください。」

「仕事だから今までこうやって私に合わせてきてくれたけど、迷惑でしょう?めんどくさい奴ですから私は。」

「まる子さんが嫌な思いをする前に、離れたほうがいいから」



私はとても切なくなった。

誰にも理解されない孤独を抱え、わかってくれる人を探しているのに、
ようやく見つかったと思ったら、継続すればするほど、それは恐怖にかわる。


その人を信頼しているからこそ、その人から嫌われたり、自分から嫌になってしまうことを、恐れているのだ。

でも、トラブルにならないと、自分からは離れられない。
でも信頼しているから、トラブりたくない。
複雑な、そして悲しい感情と葛藤が、そこにあった。


私はこう伝えた。

「私からは離れませんよ。支援は継続してナンボですから。○○さんがどんな状態になっても、何を言われても、○○さんから申し出ない限り、こちらから支援を打ち切ることはしません。」

「出来ることは限られますけれど、私が唯一、自信を持って出来ると言えるのは、関わりを継続すること。これだけは確実です」


そのかたはまたしても、目をまんまるくして驚き、戸惑っておられた。


しかしその後、支援が終了するまで、一度も、このかたが支援の中止を申し出て来ることはなかったし、こちらとのトラブルもなかった。



このかたに寄り添っていて、感じたこと。

生きていて、安心できる時が、ないのだな。
孤独で、常に誰かとつながりを求めているけど、でも、一人がいい。
でも、誰かとつながりたい。そんな相反する思いを抱えて苦しんでいる。

そんな自分が嫌になって、自暴自棄になったり、急にさみしくなって人や薬に依存したり。コントロール出来ない不安定な自分と、常に闘っている。

私にはそう思えた。


こういうかたは、結構おられる。
殆どが、幼少期に家族関係での苦しみやトラウマを抱えている。

無条件に家族から愛された記憶がなく、虐待や、過剰な期待をされ、抑圧された幼少期、思春期を過ごしておられる。

そしてそれが生きづらさとなり、青年期や社会に出てから、さらにつまづくことが増え、周りから病気じゃないかと言われたり、自分で病気かも、と思って、精神科や心療内科へ行く。


このかたもそうだった。


「人格っぽい」と言われてしまう方々の背景には、必ずと言っていいほど、幼いころの苦しみやトラウマがある。


そして、それらが引き起こす抑うつや攻撃性などの状態に、診断がつけられて、投薬が始まる。



私は、このかたの受けている治療にも、切り込むことにした。





つづく

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2014年3月27日 (木)

一緒に動くと見えてくる

(このブログで取り上げる話は、事実に基づいた完全なるフィクションです)

○月×日

(前回からのつづき)


このかたとの、ある日の手続き同行。
行ける行けないで揺れながらも、当日は約束の時間よりもだいぶ前に、待ち合わせ場所にいる。一睡もできなかったと話し、かなりの緊張感。
窓口に行くときには、いつもこのような状況になるという。


一人だと、行けないからいいや、になるけど、キャンセルするとまる子さんに迷惑がかかるから、絶対に行かなくてはならないと思った。と話してくれた。
その思いだけで、胸がいっぱいになる。
今日は忙しいのにありがとうございます、と汗だくで何度も言う。


このかたのどこが、「人格っぽい」のか。本当に、レッテルというのは腹立たしい。困った人、という前情報にこちらが不安になったり、嫌だなと少しでも思ってしまうと、その気持ちは繊細で敏感な彼らに見抜かれる。

すると彼らも警戒心や不安が増大し、余計に信頼関係が築けず話がかみ合わない。そうなると、さらに「困った人」、というレッテルを、支援者が強めてしまう悪循環。相談の仕事をするものとして、あってはならないことだ。うまくいかないことを、相手のせいにしてはならない。


担当させて頂くかたたちは、皆、このように真面目で優しく、気遣いの人たちだ。
できる能力は高くても、そこに至るまでの不安や諦めが強いから、恐怖で全く動けなくなったり、逆に多弁でよくわからない行動や言動になってしまう。見た目ではわからないことだ。


一緒に動くことで、そのかたの外での様子を客観的に見ることができる。また、一緒に成功体験ができる。行く前には、何をどんな風に伝えたいのか、こちらは何をサポートすればよいのかを、しっかりと打ち合わせをするので、失敗は少ない。準備をしっかりしておくことで、大体は乗り切れる。失敗しても、一緒に振り返り、次に生かしていける。


ひとつひとつ、体験を積み重ねていくしかない。地道なことだけど、そうやって積み重ねていくと、ある日、「こないだは一人で行ってきました」と言われて、こちらが驚いたりする。

ずっとまる子さんに付き添ってもらうのも悪いし、それじゃいけないと思うので、と話してくれる。かかわり方によっては、毎回一緒に行ってもらいたい、とそれが当然のように思われてしまうが、そうならない信頼関係を築くことが必要だ。


しかしある日、このかたから、深刻な表情で相談があると言われた。
こちらの支援を受け続けることに、不安があるのだという。



つづく





 

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2014年3月23日 (日)

自分でできるでしょ、は誰が判断するのか

(このブログで取り上げる話は、事実に基づいた完全なるフィクションです)

○月×日

(前回からのつづき)

この相談者が一番困っていること。それは、

「自分が病気にみられず、なんでも自分でやるように言われてしまう」

ということであった。


確かに、見た目は全く病気っぽくはない。
(ここで言う病気っぽさとは、おそらく、薬の副作用などで体の動きがぎこちなかったり、表情が常に一定て変化がないなど、主に薬の影響が見て取れるかどうか、だと思う。)

しかし、このかたにはいろんな背景があり、福祉などの制度を使うにも相談に行くにも、過度な緊張感と混乱がある。それを防衛するために威圧感や、自分なりの知識や難しい話を先にしてしまうことで、何を相談したいのかもうまく伝えられず、相手の理解を得られない。

「そこまでわかっているなら、自分で動いてください。」

と言われてしまう。



こういうかたは結構おられる。私自身だって、初めてのところにもし、相談に行くとしたら、やはり緊張するし、どんな奴が出てくるんだろう、大丈夫かなあと不安がある。なめられたくないから、先に知識を伝えることもあるだろう。


『自分でできることは自分でやってください。それが自立というもの。』


そういう常識が、病気や障害の現場でも当たり前のように認識されている。


しかし、自分で出来るのかどうか、また、どこまで何が出来るのか、は誰が判断するのか。ちょっと話した様子で、わかるわけがない。ご本人も気づいていないこともあるし、薬の影響もある。それは、誰かが一緒に体験してでしか、計り知れないことだと、私は思っている。


実際の手続きや話すことはできても、そこに至るまでの不安や緊張、失敗したくないという気持ち。言われる前に攻撃しちゃえ、という自暴自棄な感情。いろいろな事情が誰でもあるのではないか。それも含めて、そのかたを本当に理解するということであり、十分な信頼関係とアセスメント(情報収集・評価)があって初めて、「それは自分でできますよね」に至るべきだと思う。


このかたは、私に対しても、きっと一緒には動いてくれないはず、と思い込んでおり、どうやったら一人でできるのか、という相談をしてくれた。窓口の相手とどんな風に話せばよいのか、どうやったら相手にわかってもらえるのかを。


そして、「自分が病気であることを、周りにちゃんと知ってもらいたい」と言った。
それは、今まで相談してもちゃんと対応してくれなかった窓口いろいろ、そして、お前は病気じゃない、怠けているだけだ、と言われ続けている家族に対しての、苦しい想いでもあった。



その人が病気かどうか、はとりあえず置いておく。
診断がついていて通院しているのだから、一般的には病気とされているし、だからこそ、私の事業所を利用できるわけだし。

また、窓口でどう話せばいいのか、のアドバイスのみも出来たが、そもそも、このかたが今まで窓口でどんな様子でいるのかが全くわからない中では、アドバイスしようにも無理があると思った。



「いや、よろしければ私、一緒に行きますけど。一緒に動いてみないと、○○さんのこと、わからないので」


このかたは目をまん丸くして、驚いていた。


そしてその後、ご本人が望む窓口への同行や、やりとりに困ったときのサポートなどを開始した。そうやって動く支援者は、私が初めてだという。なんて不幸なのだろう。




しかし、こちらに頼んだものの、それはそれで違う不安がでてきたようで、毎回、同行する直前になると「やっぱり行けない。」という連絡が何度も入った。葛藤する様子はとても大変そうだった。しかし当日になると、必ず現れるのであった。




つづく

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


こうやって、まず一緒に動く、という意識やフットワークを持つ支援者が減ったなあと、日々感じている。それは、医療や福祉のシステムの中で、それぞれの役割が細分化されてしまったことで、これはできません。という範囲が広がってしまったのではないか。


自立支援法以降、福祉の事業所は増えたけど、なんか使いづらい。
各市町村ごとにも違う。あれこれと制度や情報ばかり増えて、利用する側からすると、ますますよくわからない。


このかたが求めていたのは、そういういろんな事業所にたどり着く前の、まず、どこへ行ったらよいのか、を継続して相談できる場所や人であったのだと思う。


本来、そういう相談は、市民の窓口である役所が受けて、しかるべきところにつなぐ役割だったはずだ。


しかし、役所の役割も民間にどんどん投げ、今では役所は制度の説明と事務手続きが主となり、ソーシャルワークと言える動きはできていない。役所で働く人たちも、嘆いている。



この問題については、また別の機会に触れようと思います。


 

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