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2014年1月30日 (木)

人格障害というレッテル

(このブログで取り上げる話は、事実に基づいた完全なるフィクションです)

○月×日

たまたま、あるかたの相談を受けた。
それまでは、先輩職員が担当していたが、その日先輩には先約があり、臨時で今回だけ対応してもらえないかと言われたのだ。

あっさり了承し、相談に入ろうとしたのだけど。
やたらにその先輩から、「事前情報」と、「要注意事項」が私に伝えられた。
どうやらそのかた、ほかの場所でトラブルをおこし、出禁になっているとのこと。
また、そのかたはあちこちの窓口に相談に行っており、行った先すべての場所で、「ここで話したことを、これまで相談した先に確認したり連絡するのは構わないけれど、その際には必ず自分に詳細を教えてほしい」と言っているとのこと。

先輩は、「だから、情報の取り方や、ほかの場所に確認する場合は慎重にね。大変な人らしいから。ちょっと、『人格(障害)っぽい』から。ほんと、今日は私が対応できなくて申し訳ない」と何度も言った。

先輩はきっと、経過をほとんど知らずに突然相談を受ける私を心配し、不憫に思ってくれたのだろう。

しかし私は、こういう「前情報」や、やたらに職員が大変さを嘆く姿には、いつも違和感がある。(もうわかったから、あまり情報入れないでよ・・・まっさらな状態でご本人と話させてよ・・・)と思う。それに、自分の情報がどういう風に共有されているか気になるのは、当たり前だと思うんだけど。

そして、私たち福祉の世界でいう、『人格っぽい』とは何なのだろう。
病院で働いている頃にもよく聞いたし、使っていた。

でも今は、この「人格障害」が、私がとても嫌いなコトバのひとつとなっている。
何故なら、そう言われているかたたちと身近に接し、かかわると、その診断や、診断がついてなくても「人格っぽい」と支援者から言われてしまうレッテルが、いかにそのかたを傷つけ、苦しめているかがわかるからだ。

何事にも、必ず理由がある。そのかたがなぜそう言うのか。そういう行動をするのか。なぜ周りが引いてしまうのか。それを考えずして、理解しようとせずに、『あの人、人格っぽいからね』という支援者になってはならない。

それは、うまく関係を築けない自分のせいなのに、相手のせいにして、言い訳しているに過ぎない。



今回から、このかたと歩んだ数年間を振り返ることで、「人格障害とは何か」を、私なりに考えることにしました。私は、真実はすべて現場に、出会うかたの中にあると思っています。



つづく

 

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